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学びの空間

高松国語塾EQZ、塾長です。

今回は主に高校生のお話です。下の写真は主に高校生が使っている個別ブースです。4月からは自分専用席になります。

ついでに動画撮影しました。生徒は映っていません。音は入っていますが、音はほぼありません。

 

 

音は入っているが音はない、とは何か?

動画撮影はしたけど無音だということです。生徒は映っていませんが、10人以上います。誰もしゃべる子はいません。静かに集中できる環境があるということです。

学ぶ意欲のある子が通う塾ですので、こういった環境は当然の話だと思うのですが、これが「当然でない」ことも多いようです。

個別ブースを見て「ここで自習するのですか?」と尋ねられます。違います。

「ではここが授業をする場所ですか?」これも違います。

何が違うのか?

「自習」とか「授業」という区分そのものをしていません。区分する必要すらありません。強いて言うならば、「滞在している」ですかね。

塾に来るということはイコール、「自ら学び取りに来ている」と解釈しています。来た瞬間から帰る瞬間まで「自分の想定する時間」を過ごせば良いのではないですか。「授業が開始になるまで待つ」なんて必要もありません。

「自分の想定する時間」とは、「塾で何をして過ごすべきかを自分で考え、それを着実に実行する時間」という意味です。「自分が何をすべきか」分からなけれ塾長に相談してください。っていうか、高校生でそんなことが分からない子は皆無ですけどね。

聞いた話によると、「自習の時間には、質問は受け付けない」という方針の塾もあるようです。何だかね……けち臭いというか、ホントに生徒のことを思って塾をやっているのかなと大きな疑念が湧きます。

EQZではどうなのか? 自習でも質問対応してくれるのか?

前述した通り「自習」と「授業」の区別の概念が存在しません。塾にいる間は全て「学びの時間」です。学力を伸ばすために塾にいるわけです。だったら、質問がダメという話にはなりませんよね。

保護者説明会「国語の危機を救う具体策」3月開催分、残席僅かになりました。

国語ができないのはなぜか? 本を読んだだけではできるようにならないのはなぜか? その要因を分析し、それに基づいて具体策を提示します。

尚、3月に日程が合わない方は次回の開催の予約もできます。以下のリンク先からご覧ください。

保護者説明会「国語の危機を救う具体策」