高松高校合格専門国語塾EQZ、塾長です。
つい、変なタイトルをつけてしまいました。でも、こういうの結構好きなんですよね。
テーマは「海老ダンス」ではなく、本当は「エビデンス」です。似ていますが、ちょっと違います。あ、すみません、全然違います。
エビデンスに基づく
今までにも同じようなことは書いてきました。要は、
・精神論、根性論で指導はしない
・抽象的な指導はしない
ということです。性格的に理屈っぽいということはあるでしょうが、ちゃんと理屈に基づいた指導をしたいわけです。
だから、エビデンスになるんですよね。エビデンスとは、証拠、根拠、裏付け等と訳されます。根拠のあることをしたいわけです。
非常に有難いことに、人間の進歩はすさまじいもので、目に見えないことまで解明されてきています。医学なんかも当然そうですし、脳科学、心理学等もそうでしょう。
そういった方面の研究者の方々のご尽力によって、どうすれば良いのか分かってきているんですよね。身近なことで言えば、痛み止め。これよくよく考えてみると偉大じゃないですか? 痛みはどこから来るのか大体分かるんですよ。薬は何を飲めば効くのか分かっているんですよ。有難いことですよね。
痛みに対してはある種の薬を飲むと治まる。大抵の場合治まる。
この状態を「再現性がある」と言います。繰り返してやってみて成果がある、という状態です。
なぜ再現性があるのか? それは、科学で証明されているから、ですよね? つまり、エビデンスがあるということです。
それなんですよ。私が考えているのは。再現性の問題なんです。「多くの生徒が、読解のルールに基づいて解けば一定の点数が取れる、どんな問題文であっても対処できる」という状態です。それを目指すからこそ、「読解問題の解き方のルール」を指導するわけです。
ただ、正直にそれの弱点を言えば、「そのエビデンスは私自身の経験に基づいている」、という点でしょうか。今までの経験上、間違ってはいないと確信はしていますが、所詮それも私の中だけの話です。
勉強方法のエビデンス
一方、専門の研究者の方々が研究の結果割り出したエビデンスというのは、十分に信頼するに値すると思います。
驚くべきことに、記憶のメカニズムも明らかになってきているわけです。脳科学の先生たちが研究してくださいました。本当に有難いことです。無駄な方向性に走ってしまう危険がありません。そのエビデンスに基づいて指導を組み立てればよいわけですので。
■アウトプットが有効である
と既に証明してくださっています。インプットを繰り返すよりもアウトプットの分量を確保せよと。
私は、脳科学者の先生たちのおっしゃることは信用します。私の感触とも一致します。私が「そうだろうな」と思っていたことを証明してくださった感すらあります。
だから、アウトプット主義なわけです。
元々、私自身がアウトプットの重要性を感じ取っていました。逆に言うと、一斉クラス型、講義中心の指導での伸びなさ加減をサラリーマン時代に感じ取っていたということでもあります。
自分の塾を作ってアウトプット中心の指導に切り替えて、やっぱりそうだよな、という感触を得たわけです。講義型の塾では出せない成果は出しています。
上位の子は、インプットは一度で良いのです。学校で新しい単元を習えばそれで良いのです。それをもう一度講義を受けることに意味はないのです。時間、労力、費用、全ての無駄です。
必要なのは、習った内容の練習です。小テスト的な確認です。それは学校ではやり切れていないから塾でやりましょう。しかも、真っ当な指導者の下で、それぞれの子の能力に応じたことをやりましょうね。
それだけの話です。
昭和の塾と令和の塾
もう明確なわけですね。
学校の授業でインプットする。だから真剣に聞いてできる限り授業中に理解しておく。その前提に基づいて、学校だけでは足りない演習、つまり、アウトプットを塾で行う。
これが王道なのは私自身が感触として掴んでいますし、脳科学的に証明されているわけです。
だから、このスタイルをとらない方が悪なのです。
このように証明されているにもかかわらず、未だに講義型をメインでやっているって、一体いつの時代の話なのでしょう? まるで、炎天下であっても水を飲んではいけない、という謎ルールのあるスポーツ系部活みたいです。いずれもエビデンスに基づかないことを平気でやっている、という意味です。
昭和的根性論精神論は、当塾では採りません。
令和的エビデンス論を採用します。
そして、訳の分かった指導者、つまり私ですが、私が全生徒の解いている様子、解いた結果、解いた跡、思考のクセが直っているか……などなど全てを見ます。
えっと「訳の分かった指導者=私」、この部分にはエビデンスがありませんね……笑
過去の合格実績で判断してください。
通じるのは
冒頭で「「多くの生徒が、読解のルールに基づいて解けば一定の点数が取れる、どんな問題文であっても対処できる」と述べました。これは、私の経験に基づくエビデンスであると述べました。
ここでちょっと問題があるわけです。
「多くの生徒が」という部分です。これは、あくまでも高松高校や高松一高等の上位校を狙う生徒の中での話です。
どんなにどんなに最低でも診断テストで5科目合計160点や170点は必要です。そうじゃないと、私が指導している「解き方のルール」が理解できません。
「読解」という以前の問題なのです。
逆説的かもしれませんが、要は、
「読解問題の解き方」を理解するには、一定の「読解力」が必要なのです。
令和の塾
話を元に戻します。
科学的根拠のない頃、根拠のない話ならともかく、既に脳科学の世界では記憶増強のメカニズムが分かってきています。
ならば、それに基づいて指導を行うのが合理的な判断ではないのでしょうか?
私が学生の頃、そこまでのことは言われていませんでした。昭和だったんですよね。根性論が幅を利かせていました。その頃はもう仕方なかったと思います。
でも、今は違います。平成も超えて令和の時代です。昭和の頃の価値観、つまり、「塾には一斉講義型指導を受けに行く」は、もう既に役割は終えているのです。
演習を中心に学習し自ら学び取りに行く時代だと思います。
そう思いませんか?
お子さんの読解力について考えるきっかけを作りませんか? 具体的にすべきこともご提案します。
「読解問題の解き方のルール」満席につき、順番待ちになります。何卒ご了承くださいませ。