高松市国語塾EQZ、塾長です。
結果を出すべきことがらは、運で左右されたくないのです。
ラッキーだった
仕事にしても、学習にしても、運を頼りたくないんですね。
塾でやったテストの過去問と同じ問題が、またテストで出た。できた! 点がとれた! ラッキー!
そう言っては、生徒はもちろん、塾の先生も喜んだりする姿って、一体何でしょうか?
挙句の果てに「次はもっと過去問を準備して同じ問題が出る確率を高める」とか…。
そんな塾に対して「この塾に通っていて良かった」とか…。
よく理解ができません。それって何の力になっているんですかね?
そういうレベルの人は、そもそもEQZには来ないわけで、まあ良いのですけどね。
アンラッキーだった
ラッキーの裏側にはアンラッキーがあるわけで。
塾でやった過去問と同じ問題が出なければどうなるんでしょう?
点数が取れずに嘆き悲しむのでしょうか?
どんなテストであれ、点数がとれないと嘆き悲しむ気持ちは分かります。
しかし、嘆き悲しむべき点は、過去問と同じ問題が出なかった点ではなく、過去問に頼った勉強を選択したこと、言い換えると「幸運をベースにした方法を選んだこと」だと思います。
過去問と同じ問題が出てラッキーだったら点数が取れる、そうでなければ凹む。そんな学習方法が正しいとは思えないんですよね。
でも、過去問を出す塾に通う人っていうのは、その運不運による勉強が正しいと思っているということです。
せいぜい、受験でも「過去問と同じ問題が出る」ことを祈っていてください。
王道を行く
そもそも、テストは何が出るのか分からないものです。
いきなり傾向が変わることもあります。
それが前提です。
では、その前提に対して、どう考えるかというと、「何が出ても対応できる力をつけよう」と僕は考えます。
今までに見たこともないような問題が出たとしても、で「これは何を尋ねられているのか」「何が必要なデータなのか」「不要なデータは何か」等々、その場で判断して、問題に対応していくということです。
僕は、これが王道だと思っています。
そして、そのベースになるのが「読解力」ではないのでしょうか? 英語のリスニング等を除けば、問題は活字で出されます。それを読まなくてはならないのです。そして何よりも重要なのは、「その意味を正しく理解すること」です。
ここまでができれば、半ば正解にたどり着いたようなものです。
ところが、多くの子は「読んで意味が分かる」ところまでたどり着けないのです。意味が分かっていないのです。
「うちの子は読める」と思っている親御さんも多いと思いますが、95%以上の子は、読めていません。お子さんが読めているのは文字です。文の意味ではありません。
運を無効化する
運に頼らない学びを実践していこうと思って指導しているわけですね。
王道です。
何が出ようともびくともしない読解力をつけるのです。
そのために、コツコツと読解力養成を続けます。
運には左右されませんし、気分にも左右されません。何があろうとコツコツと継続する。
だって、王道を行こうとすれば、方法はそれ以外にありませんよね?
高松国語塾EQZでは、過去問と同じ問題が出た出なかったという、運不運に左右されるような勉強方法を良しとする考え方は取りません。
文章を丁寧に読む、設問を丁寧に読む、何が問われているのか正確に理解する、何が必要なデータなのかを正確に判断する、そして、正しい回答を書き込む。この地道な練習をずっとずっと続けるだけです。
面白くはないかもしれませんし、派手さもないでしょう。
でも、これが王道だと確信しています。
そして、この主張に賛成できる人だけに来てほしいと願っています。
→現在、予約者多数のため、一時的にすべてのお申し込みを停止しております。