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自我主我反抗期2

高松国語塾EQZ塾長です。

自我・反抗期のお話の続きです。

 

 

 

自我主我反抗期1のお話はこちらから

 

前回のお話を要約すると・・・

 

自我とは「方法の確立」のことであり、親子間で価値観が異なる場合に、衝突が起こる

 

争点は、幼児期とか小学生の間ぐらいまでは、身の回りのことに関する「方法の確立」中学生・高校生になってくると「人生の過ごし方の確立」。

 

親子といえども別人格なので、価値観は異なっていて当然

 

ということでした。

 

 

この話の流れでお分かりかと思いますが、僕自身は反抗期というのは割と肯定的に捉えている方です。

 

一人の人間として自立しようとすれば、価値観の異なる親の言い分はウザいとしか言いようがありません。

 

言い換えるなら、親がウザいと思うのは成長している証拠です。「自立しようとすれば」ウザいと思うわけですので。

 

親が言うことがすべてだった幼児期から脱出し、尚且つ、多様な価値観に触れることで自分自身の、親とは異なる新たな価値観が芽生えているわけです。

 

 

と考えると、もう肯定しかないでしょう?

 

 

 

と理屈では分かっていても、日常の場面では、腹立たしいこともたくさん起こります。

価値観以前にその態度にイラっとすることも多いです。叱りつけてしまうこともよくあることです。親の方も人間ですから、感情的になるのは仕方ありません。

 

ただ、根底には「親と価値観が異なっていても仕方がない」という思考を持っておけば良いのではないかと思います。

 

そうすれば、腹が立ったあと平常心に戻るのも早いのではないでしょうか。

 

 

 

反抗期がない理由として、前回は「たまたま子どもの価値観が、親と同じだった場合」という事例をあげました。

これは良いと思うのです。

 

あと二つの理由が考えられます。

 

一つ目は、「そもそも親の言うことを何も聞くつもりがない場合」です。

 

まあ、これも良いと思います。こういう子は自分で勝手に人生を歩いていきますから。

完全に自立しているのかもしれません。

 

 

でもね、一番怖いのは次の場合です。

 

親の言うことに対して考える力がない場合

 

親の価値観が心地良いとも居心地悪いとも感じない。自分にとって良いか悪いかという判断もできない。

 

一見、親の言うことを素直に聞いている子に見えます。が、実態は、何も考えていない、ということですね。

 

いや「考えていない」ではなく、正確には「考える力がない」です。

 

過保護、過干渉がこういった「考えられない子」を生み出しています。

 

怖いね。これは。

 

でも、最近多いのではないかと・・・。

 

怖い怖い。

 

 

だから余計に、「反抗期?良いんじゃないの?」と思うわけですよね。自我が無いより、ありすぎる方がまだマシ。

 

というか正常かと。

 

 

 

 

うちの子、国語ができていない、国語の力が不安だ。

そういう思いの親御さんは多いです。

 

でも何をやれば良いか分からない。

とりあえず、書店で問題集を買ってきて・・・。

 

というお気持ちは分かりますが、残念ながらすべきことはそういうことではありません。

 

なぜできないのか?

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