高松国語塾EQZ塾長です。
自我・反抗期のお話の続きです。
前回のまとめ
前回のお話を要約すると・・・
自我とは「方法の確立」のことであり、親子間で価値観が異なる場合に、衝突が起こる。
争点は、幼児期とか小学生の間ぐらいまでは、身の回りのことに関する「方法の確立」、中学生・高校生になってくると「人生の過ごし方の確立」。
親子といえども別人格なので、価値観は異なっていて当然。
ということでした。
価値観の芽生え
この話の流れでお分かりかと思いますが、僕自身は反抗期というのは割と肯定的に捉えている方です。
一人の人間として自立しようとすれば、価値観の異なる親の言い分はウザいとしか言いようがありません。
言い換えるなら、親がウザいと思うのは成長している証拠です。「自立しようとすれば」ウザいと思うわけですので。
親が言うことがすべてだった幼児期から脱出し、尚且つ、多様な価値観に触れることで自分自身の、親とは異なる新たな価値観が芽生えているわけです。
と考えると、もう肯定しかないでしょう?
価値観の違いを認める
と理屈では分かっていても、日常の場面では、腹立たしいこともたくさん起こります。
価値観以前にその態度にイラっとすることも多いです。叱りつけてしまうこともよくあることです。親の方も人間ですから、感情的になるのは仕方ありません。
ただ、根底には「親と価値観が異なっていても仕方がない」という思考を持っておけば良いのではないかと思います。
そうすれば、腹が立ったあと平常心に戻るのも早いのではないでしょうか。
反抗より危険なこと
反抗期がない理由として、前回は「たまたま子どもの価値観が、親と同じだった場合」という事例をあげました。
これは良いと思うのです。
あと二つの理由が考えられます。
一つ目は、「そもそも親の言うことを何も聞くつもりがない場合」です。
まあ、これも良いと思います。こういう子は自分で勝手に人生を歩いていきますから。
完全に自立しているのかもしれません。
でもね、一番怖いのは次の場合です。
「親の言うことに対して考える力がない場合」
親の価値観が心地良いとも居心地悪いとも感じない。自分にとって良いか悪いかという判断もできない。
一見、親の言うことを素直に聞いている子に見えます。が、実態は、何も考えていない、ということですね。
いや「考えていない」ではなく、正確には「考える力がない」です。
過保護、過干渉がこういった「考えられない子」を生み出しています。
怖いね。これは。
でも、最近多いのではないかと・・・。
怖い怖い。
だから余計に、「反抗期?良いんじゃないの?」と思うわけですよね。自我が無いより、ありすぎる方がまだマシ。
というか正常かと。
国語向上のきっかけ
うちの子、国語ができていない、国語の力が不安だ。
そういう思いの親御さんは多いです。
でも何をやれば良いか分からない。
とりあえず、書店で問題集を買ってきて・・・。
というお気持ちは分かりますが、残念ながらすべきことはそういうことではありません。
なぜできないのか?
何をすれば良いのか?
お伝えする機会を作っております。
下のリンク先からお申し込みください。