自我主我反抗期

高松国語塾EQZ塾長です。

自我のお話です。及び反抗期のお話です。

何でも定義したがる理屈っぽい塾長が考えましたよ。

 

 

自我の芽生え、自我感情の発達等々により、反抗期に突入する、と巷では言われています。

自我って何よ?

と理屈っぽい塾長は思うわけです。

定義ができていないと気持ち悪いんですよね。

 

尚且つ、ひねくれものなので世間一般的に言われる定義に納得しないことも多いわけで。

 

要は面倒くさい奴ということなんですが、その面倒くさい奴が思う「自我」とは何か?

 

 

僕は「方法の確立」ではないかと思うわけです。

 

要は「自分のやりたい方法があるからそれをさせろ」ということです。

 

 

幼児期とか小学生の間ぐらいまでは、身の回りのことに関する「方法の確立」をしたいわけですね。

ご飯の食べ方、服の着方や選び方、歯のみがき方等々。もちろん遊び方、友達との付き合い方、勉強の仕方もそれに含みます。

本能的な場合もあるでしょうし、その時の気分もあるでしょう。また、友達から影響を受けてそれを真似ている場合もあるでしょう。

いずれにしても、「自分がやりたい方法があるからそれをやりたい」ということです。

そこで、親御さんがその方法に文句をつけることで衝突が起こります。

 

とてもよくある「(準備などを)早くしなさい」も、方法論の衝突かと思います。

本人は「ゆっくりとする方法」or「自分のペースでの方法」をやりたいわけですが、親御さんの「早くするのが良い」という価値観攻撃に合うわけですね。

「うるさい!」と子どもが言うのも、正確に言うと「自分のやり方を試したいから口出しをするな」という意味合いを持つのだろうと思います。

 

 

中学生・高校生になってくると、方法論の衝突の内容が変わってきます。

いわば「人生の過ごし」になってきます。

身の回りのことはもう自分なりのやり方が確立できているでしょうから、争点はそこではありません。

 

1日24時間をどう過ごすか、

とか

友人関係をどうするか

とか

進路をどうするか

という話になってくるはずです。

引いては

どんな人生を送るのか?

につながります。

 

テーマが大きくなるわけですね。その分、衝突も激しい。

 

 

親子といっても、全く別の人間であり、別人格です。

 

当たり前です。

 

遺伝子レベルでの一致はあります。姿形から始まって声質、もしかするとしゃべり方なんかも似ているかもしれません。

でも、そこまでです。

 

いや、それだけです。

 

性格、趣味嗜好、得意不得意、思考方法、そして何より価値観や能力は全く別です。

むしろ、何も一致するものがないと思っておいても良いぐらいです。

 

だから、親御さんの価値観を押し付けようとしたら、何らかの障害が出てくる。たいていは親子喧嘩ぐらいで済みますが、程度が大きければ家出などのおおごとにつながっていきます。

 

 

時々、反抗期のない子がいます。

これはどういうことか?

 

僕が思うに「親の価値観や方法論」が子どもにとって割と居心地が良く、違和感がない、という状態ではないかと思います。

つまり、たまたま親子の価値観や方法論が合致している、ということですね。

だから、親が「こうしなさい」に対して「なるほど、自分もそう思う」と感じているので、反抗する理由がない。

 

反抗期の最盛期である中学生の頃には反抗期がなく、むしろ大学生になってからとか大人になってから反抗期が訪れるというのは、その段階で価値観や思考方法に大きなズレが生じてきてしまったということではないでしょうかね。

 

だから、成長が遅いとか早いとかではなく、価値観や方法論のズレがどこで生じるかということです。

 

 

「自我とは、自分の方法論を確立すること」であって、親の価値観・方法論と食い違うことで反抗が起こる。

僕は心理学者でも何でもないですが、親御さんのお話、そして生徒自身の話を聞いていてそう思うわけです。

 

この話、続きます。

 

 

 

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