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高松国語塾EQZ塾長です。

小学生対象に教養読書の会を開催している背景に関してです。僕が何を目指しているのか、をお伝えします。

 

一言で言うと「興味関心を広げる」ということです。これに尽きるんですよね。

 

我が子の興味関心を育みたいと考える親御さんは多いと思います。

でも、実際できているのか? 

僕自身も子どもがまだ幼いころからそれを念頭に置いていましたが、振り返ってみると十分ではなかったと反省することが多いです。

 

というより、やはり親だけだと限界があると感じるのです。

そこで外部の人の力を借りるわけですね。言い換えるなら「自分とは違う価値観、知識、体験を有する人」です。それだけで十分価値があると思っています。

習い事、学習塾に通うということは、第一次的な狙いとしては、技能、学習、知識をつけることが挙げられますが、実はそれと同じぐらい重要なことは、「親以外の大人と接する」ことだと思います。

言い換えるなら「親とは違うことを言う大人の話を聞く」です。

「話している世界が違う」「話している様子も違う」「話している言葉も違う」

ここに価値の一つの側面があるのではないでしょうか。

 

野球を習っている子は野球方面の、音楽を習っている子は音楽方面の、書道を習っている子は書道方面の知識や世界が広がっているはずです。語句もマスターするはずです。またその世界特有の会話も聞いているはずです。

それって価値じゃないですかね?

だって、世界が広がっているじゃないですか。親との会話だけでは出会えない世界や語句に出会っているじゃないですか。

価値としか思えません。

 

だから、学習塾を選択する場合は、「どこの塾が良いか?」ではなく「誰が教えてくれるのか?」が最重要テーマなのです。

僕自身としては、塾の選択基準ってそれ以外ないように思うんですけどね。

 

 

さて、興味関心の話に戻ります。

一言に「興味関心」と言っても、2種類あると思うんですね。

 

「興味関心の拡散」と「興味関心の深耕」です。

 

拡散:興味があることを多方面に広げていくこと

深耕:興味があることを深く追求していくこと

です。

 

小中学生の間は、拡散が優先だろうと思うのです。

あらゆる分野に手を伸ばし触れてみる。若いだけに先入観もありません。何かにつながるものもあれば、ならないものもある。でもそれで良いんですよね。全部がつながっていくことはありませんから。でも決して無駄ではない。

その世界に触れて何にも発展しなかったということが分かった」ことに意味があるからです。

 

幸いと言っては何ですが、僕自身、多方面に興味関心がある人間です。たいていの話にはついていけそうです。子どもが興味のある本を選んできたときに、何らかの説明をすることができ、興味関心の種をまくことはできるのかなと思っています。

 

ただ、逆に言うと、興味関心の深さを追求するには僕程度の人間では十分ではありません。深さを追求するにはもっと専門性を持っていなければいけませんからね。

 

つまり、小中学生の間は、興味関心の拡散を考えるべきでそれなら僕も対応ができます。興味関心の深耕を考えるのはもっと先で良くて、それは僕が担うべきではないのです。

 

小中学生がすべきこと、僕ができることを組み合わせるとそうなるということです。

 

これが教養読書の会なのです。

 

 

興味関心と同じような言葉として「好奇心」という言葉を使うことがあります。好奇心を育てるにはどうすれば良いのか?

 

これはもう「知ること」「新しいものに出会うこと」ではないでしょうか。

 

知らないことに好奇心は生まれないはずです。だから、好奇心の育成の前にまず知ることです。

 

 

好奇心と言えば、幼児のころに「なぜ?」攻撃があった子も多いことと思います。「なぜ?」という問いは、知りたいと思ったから生まれたのですよね。つまり好奇心の芽生えです。

 

では、「なぜ」が生まれる場面はどんな場面だったのか

 

たいてい、「新しく何かを知ったとき、出会ったとき」じゃないでしょうか?

だから、新しいことに出会わないと好奇心は生まれないと。

 

夢も同じですよね。

「夢を持ちなさい」等と言うことがありますが、知らないことは夢にはなりません

 

ですので、小中学生の間は知ることが優先なのです。知ったことの中から好奇心も夢も生まれます

 

つまり、興味関心の拡散です。

 

 

「うちの子には良いものしか経験させない」という方針の親御さんもいるかもしれません。

あまり賛成ではありません。

 

というのは、たいていの場合、良いとか悪いっていうのは相対的なもので、良いものだけ体験していてもその価値が分からないと思うんですよね。

だから、悪いものも体験しておく。

 

あることを初めて体験した。「ふーん、こんなもんか」と、その時は特別には感じなかったけど、同じカテゴリーのことをいくつか体験しているうちに、最初に体験したことが実は素晴らしかった(或いはひどかった)のだと気付くことはあります。

 

悪いものを率先して選択する必要もありませんが、良いだろうと思っていてもそうでもないことは、よくあることです。

良いもの悪いもの両者を体験するからこそ比較ができ、価値観の軸ができあがるのではないかと思うわけですね。

だから、悪いものを体験することにも意義はあるのではないかと。

 

こう考えると、価値観も「知っている中」から育成されていくものだと言えそうです。

 

 

 

さて、最後に最近流行りの「探究学習」について触れておきます。

そもそも探究とは何ぞや?

 

◆ウエブ上の辞書
知識を論証すること、疑念を解消すること、ないしは問題解決をすることという目的のある思考過程のこと

◆三省堂の辞書
ものごとの深い意味や本質などをさぐり明らかにすること

◆小学館の辞書
たずねきわめること。学問的にきわめる意味

 

となっています。漢字の意味からすると「深く研究する」なんでしょうね。

つまり僕が使う言葉でいうと「深耕」だと思うのです。

 

「探究」が流行しているのは分かっているけど、僕が「探究」という言葉を使わないのは、この点なんですね。

 

上記でも述べたように、僕が何かを探究できるレベルの人間ではない、ということです。専門分野に深い知識を持ち、それを子どもに分かりやすく、楽しめるように提供できる人でないと無理だろうと思うわけですね。

 

付け加えて言うと、探究より「興味関心の拡散」が先である、と思っているのです。

 

探究が、

>知識を論証すること、疑念を解消すること

であるなら、探究以前に、「知識」がないと「疑念」も起こらないだろうということです。

そもそも、興味関心がなければ探求しよういう考えには至らないわけで……。

 

これらの考えから、興味関心を拡散するために、教養読書の会を実践しているわけです。

 

どうでしょう?

 

 

これら一連の話、及び、読解力養成のために何が必要か、保護者説明会にてお伝えしております。お出かけください。

保護者説明会「国語の危機を救う具体策」3月13日(日)13:30~15:30