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うちの子は生意気で

高松高校合格専門国語EQZ塾長です。

「うちの子は生意気で」「生意気なことばかり言うんですよ」という親御さんの声を聞くことがあります。えっと、生意気選手権なら僕も負けませんよ…。学生時代の先輩、サラリーマン時代の上司から散々言われた言葉です。

 

 

良いじゃないですか、生意気で。何が悪いんですか? 

 

今の若い人たちは、自己肯定感が低い人が多いという話も聞きます。そんな中、生意気ということは、自己肯定感たっぷりということですよね? あっぱれじゃないですか。 また、自己肯定感が高いということは、親御さんの愛情を受けて育ったという証でもあるのではないかと思うのです。

 

若い時って、まだ何もやっていないうちから「自分なら何でもできる」と思いがちです。その根拠のない自信は大事ですよ。何でもできると思っているから全然諦めない。

 

でも実際はできないことももちろんあるわけですが、生意気な子は、それが悔しいし、やってやろうと思って挫けずにまたチャレンジする。

 

で、上手くできると、ふんぞり返って、また生意気が加速するという好循環になるわけです。

 

生意気のサイクルということでしょうか…。

 

 

そもそも、若い人の生意気さを責め立てる方がおかしいわけで。

 

生意気かどうかは、非常に主観的なものですよね。ということは、その若者を生意気と思うかかどうかという判断は、人によって異なってくるということです。だから、すぐに若者を生意気だと非難するのは、価値基準の低い人なのではないかと思っています。視野が狭くて人間のちっちゃい人という意味ね。

 

自分に自信のある、度量の大きな人は、生意気な奴だと責め立てるようなことはないでしょう。むしろ「面白いやつだ」「見どころのあるやつだ」という判断になることが多いのではないでしょうか。

 

若いうちなんて生意気なもんですよ。生意気なことを言えるのは若者の特権だと言っても良いでしょう。そう思っているので、僕は生意気な子、大歓迎です。「将来は、自分で会社を経営する社長になりたい」と言った子がいました。世間一般は、生意気な奴だと言ったり、そんなの無理だろうと笑ったりするかもしれませんが、僕は大声援を送ります。「会社経営やれ、社長になれ、好きなようにやれ、きっと楽しい人生が待っているぞ」…と。

 

 

尚、僕が生意気な子を受け入れられるのは、もちろん僕が度量の大きな人間だからではなく、元「生意気な奴」だったからです…。

 

 

というわけで、生意気な生徒諸君、国語の勉強をしようではないか。生意気なことを言うにも、言葉をたくさん知っていると、より生意気になれますよ。

保護者説明会「国語の危機を救う具体策」