高松国語塾EQZ、塾長です。
学びの環境
塾に来ると、備え付けの書籍を選択します。
その日、興味がわくものを選んで良いのです。
何を選んでも「学び」です。
読む間、完ぺきに集中して読みます。一切強制はしていません。
この時間は、みんな「新しい世界」を学んでいる最中です。「こういうことってあるんだ」「これってどういうことなんだろう」と、ワクワクしながら読んでいるからこそ、集中して読むことができるんでしょう。
静かで、快適な環境で、好きな本を読んで、新しい世界を知るのです。ワクワクしないはずがありません。
彼らの姿を見ていると、子どもは本当に読書が好きなんだなと再認識することができます。環境を与えてあげれば、なんでも吸収していくのです。
新しい世界
日本の神話を読んでいる子がいます。
テーブルマナーを読んでいる子がいます。
百人一首を読んでいる子がいます。
学問のすすめを読んでいる子がいます。
素数の話を読んでいる子がいます。
税金の話を読んでいる子がいます。
本棚から「面白そう」と思った書籍を能動的に選んでくるのです。その瞬間から、好奇心の芽は伸びているのです。それを止める方が悪でしょう。
テストに出るの?
「そんな本を読んで、テストに出るのか?」
くだらない疑問です。こういった感想を持つ人は、ぜひ僕には近づかないでほしいと思います。でも一応お答えしておきます。
目の前のテストには出ないので役に立たないでしょう。
でも、彼らの人生には大いに役立ちます。
考えてもみてください。小学3年生4年生あたりから、百人一首を読み込んだり、テーブルマナーがあることを知ったり、税金を調べてみたり……どれだけ人生の幅が広がることだろう、と思いませんか?
もちろん、読解のための基礎学力を作ることにも大いに貢献します。
これは、僕が開催している保護者説明会「国語の危機を救う具体策」を聞いていただければ分かることです。
誰がどう考えても、教養読書が必要だという結論にたどり着くはずです。
読解の土台
「読むだけ」ではありませんよ、当然。
分からなかった言葉を調べる。
読書によって新しく学んだことを書きだす。
読書をして、考えたこと、面白いと思ったこと、不思議だなと思ったこと、もっと知りたいなと思ったことを書きだす。
先生や両親に伝えたいことを書きだす。
全て僕が読ませてもらって、間違いを訂正したり、違う言い方を伝えたり、新しく知った言葉を発音してもらったり、書ききれなかったことを口頭で説明してもらったり……インプット、アウトプットを繰り返し行っています。
圧倒的な価値だと確信していますけどどう思いますか?
よくある読解用の問題集を40分ぐらいで1問2問解いて、丸付けしてお終いという授業と比較して、5年後に圧倒的な力をつけられるのはどっちだと思いますか?
大人が教えてもらう
難点として挙げるとすると「教養のない先生が教養を教えるのは良いのか?」という点でしょうか?
だから、子どもたちに僕は教えてもらうのです。
「え! そうなんだ!」
と僕が叫ぶかのように声を上げることがあります。これは教養を身につけた子どもたちから、僕が教わった瞬間なのです。
「何も知らないバカな先生」を、子どもたちは手助けしてくれているのです。有難いことです。子どもたちはアウトプットの機会になるし、僕はお陰で教養がついていく、という流れです。
未熟なのは技術だけ
子どもの学ぶ能力って、かなり高いと思うんですよね。
考えてみると、ゼロ(誕生)からスタートして数年で一つの言語を、日常生活ができるレベルにまでもっていけるわけです。これはかなりの能力だと思いませんかね?
小学1年生から高校3年生ぐらいまでの間に学んだことってその後の人生に大きな影響は与えると思いますし、そもそも、非常に多くのことが記憶として残っていますよね。普段意識していませんが、日常生活を難なく過ごせているのは、その時代の学びがベースになっていますよね?
子どもは未熟だという意見もありますが、それは技術面での話です。書き方、話し方、調べ方、考え方等、まだ経験不足で上手くできないところはあります。
でも、学ぶ力は大人よりずっと高い力を持っていますよ。
子どもが本を開いたら、それは「今、能力が高まっている最中。だから邪魔をしないでね」というメッセージなのです。だから、その機会をできるだけ多くとってあげるのが、親御さんの役目だろうと思います。
このように考えているわけですが、多少なりとも興味がある、お子さんの学力を真剣に考える親御さん限定の説明会があります。
保護者説明会「国語の危機を救う具体策」
2025年1月13日(月・祝)13:30~15:30
当塾にて。