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高松市で学ぶということ

高松市国語塾EQZ塾長です。

 

今回はシリアスな内容になりますよ。

 

 

僕は、以前、首都圏の塾で指導をしていました。

 

高松に戻ってきた当初「都会はできる子が多いでしょう?」とよく尋ねられたものです。

 

それに対する回答は「できる子は多い。しかし、そうでない子も多い」です。

 

単純に人口が多いので、できる子もそうでない子も数は多いですよ。

 

このお尋ねの趣旨は「都会は賢い子ばかりなのではないか?」なんだろうと思いますが、これに対する見解を述べておきます。

 

 

 

「都会は賢い子ばかり」というのは思い込みで、そうでない子も大勢います。

 

当たり前の話です。

 

そもそも、生まれた場所によってできるできないという差があるはずがありません。

できる子、そうでない子、都会も地方も、割合としては同じはずです。

 

ただ、生まれた時の能力が同等であっても環境による差はでてくると思っています。

 

鍛え方が違うということもありますし、刺激が違うということです。

 

 

 

家から電車で30分も行けば、全国的に有名な難関大学を見ることができる環境と、そういった大学なんか遠い別世界の話でしかない環境。

受ける刺激はかなり異なるはずです。

 

都会では、小学中学年ぐらいから本格的に受験勉強を始めます。その努力という点において、何もしていない子とは随分と差が出てくることでしょう。

 

これらが環境の差ということです。

元々の能力の差ではありません。

 

そして、環境によって刺激の度合いは異なります。それは意識の差につながります。そして最終的には行動の差になります。行動の差とは「学習量の差」と言い換えても良いでしょう。

 

その結果、数年経ってみると、かなりの差が開いていることもあります。

 

 

大学受験の際には、県外の大学に進学する子も多いです。

県外に出るということは、全国レベルの評価下に置かれるということです。

つまり、中学受験時から鍛えられ、難易度の高い学校で良質の教育を受けてきた子たちとのガチンコ勝負になるわけです。

 

「多くのことを積み重ねてきた子たち」と「積み重ねの量が少ない子たち」の勝負になると言っても良いかもしれません。

 

これを高校3年生の1年間で逆転させようと思う方が間違っている。と思いませんかね?

 

だからこそ、小学生のうちから地道に努力を継続するべきだと思うわけです。

 

そもそも、都会だの地方だの言う以前に、どんなことに置いても、継続的な努力なしには能力向上はありません

 

違いますか?

 

 

中学生でも模試等を受けて、偏差値というものになじんでいきまs。

僕は、高松高校の合格ラインは、どんなに良くても偏差値65レベルだと思っています。

 

その偏差値を元に大学受験を考えるわけにはいきません。当然です。母体が違いますから。

 

目安として、高校受験時の偏差値から10を引いてください。それが大学受験時の偏差値と思って良いです。

つまり、高松高校に合格できるぐらいの子は、大学受験では偏差値55程度です。真ん中よりちょい上程度です。

 

ちょっと勉強すればMARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)レベルの大学には入れると思っている人が多いですが、とんでもない話ですよ。

これらの大学って相当な難関大学ですよ。

 

県内だけの受験で終わる高校受験と全国の猛者を相手にする大学受験では決定的に違うのです。

 

視野を広く持って、世の中に動きに敏感になって、今自分が何をすべきなのか? これで十分なのか? 知ってほしいと願っています。

 

特に、刺激の少ない地方は、自ら能動的に動かないと情報が入ってきませんからね。

 

 

念のため、まとめを書いておきます。

 

都会が良い、地方が悪い、というお話ではありません。

 

地方では情報量も刺激も少ないので、都市部に住んでいる人よりもむしろ高感度のアンテナをもって、お子さんの教育を考えていく必要があるのではないでしょうか?という主張です。

 

 

高松市国語塾EQZでは、高感度のアンテナを持ち、お子さんの教育に真剣に向き合うご家庭にだけ来てほしいと思っています。

 

お子さんの教育に対する感度を高める機会があります。12月18日開催、保護者説明会「国語の危機を救う具体策」 受付中です。

お子さんの能力を引き上げるきっかけになると思いますよ。