高松国語塾EQZ塾長です。
今通っている塾の宿題の量が多くて…という声を聞くことがあります。
僕は、一斉大量宿題には反対の立場をとっています。
学校の役割
まず学校の話からです。
学校で宿題が出るのは良いと思っているんですよ。クラス全員に対して一律の宿題を課すのは、その役割から言っておかしくないと思います。「公」の機関ですので。度が過ぎれば考えものですが。
恐らく、「公の機関」の役割として、宿題を出すことには、一定以上の学力をクラス全員につけさせる、家庭学習の習慣をつけさせる、という意図が根底にあると思うんです。それには賛同するのです。
生徒個人別に見ればあまり役に立たない内容があったとしても、です。
それに対して・・・
塾の役割
学習塾というのは、そもそも通塾自体が任意です。そして、通塾を選択する場合の目的は、「その子自身の学力の向上」のはずです。
一人一人、性格が違うように、強化すべき内容も個別に違うはずです。たとえ点数が同じであっても、その中身は違います。
国語で言えば、読むスピード、語彙力、文法の知識、解くときのクセ、考え方のクセ、世界観などなど。
であれば、すべき学習内容も異なるはずです。
その日塾で勉強した内容で、弱点を発見すれば、「その子の、その問題点」に対応していくべきだと思うのです。
塾の価値ってそこじゃないですか。
どう考えても、「一斉の宿題」にはなり得ないわけです。
大量にもならない
更に、問題になっているのは、その宿題の量です。
なぜそんなに大量の宿題が必要なのでしょう?
「家で勉強しないから宿題を出してください」という親御さんの要望に応えているのかもしれません。
「塾の勉強だけでは足りないから」という理由なのかもしれません。
いずれにしても、おかしくないですか?
親御さんには、ちゃんと考えてほしいと思うのです。
おかしな理由
「家では勉強しないから宿題を出す」
これって、机に縛り付けることが目的ですよね。中身なんか関係ないわけです。それって本当に役に立っていると思いますか?
「塾だけでは足りないから宿題を出す」
これって、そもそも塾の授業時間や学習内容の設定がおかしいのです。塾の授業は果たして意味があるんでしょうか?
大量はむしろ悪
大量に宿題を出すということは、考えるような学習内容ではなく、「作業」のはずです。それができる子もできない子も一律に作業を課しているわけです。
その結果、「どうでも良い作業」に時間を取られて、その何倍も重要な「親子の会話」「家族で過ごす時間」「友達と遊ぶ時間」「習い事」等々の日常の生活を奪われているのです。
そうなっていないか、まず確認してみてください。
これって本当に必要なのか?
もっと大切なことに費やす必要はないのか?
全員一律大量作業
なぜ、全員一律の大量作業を押し付けるのでしょう?
もちろん、「その子にとって必要なことは何か?」という見極めができていないからです。
そして、「うちの塾は勉強させている」感に浸っているわけです。
一人一人の生徒の様子なんか見ていません。だから、個別の宿題なんか出せません。
あれもこれもと突っ込んで、「やってきなさい」と言うだけの話です。
更に、免罪符でもあります。
要は、成績が伸びない場合に「宿題をちゃんとやっていませんね。これでは伸びませんね」という言い訳の材料ということです。
更に強制
まだあります。
そもそも、「強制」させているわけですよね。
「通塾を通して、生徒が自分の弱点を認識し、改善のための具体策を授けてもらって、それを自らの意思で克服していく」ことを僕は大事だと思っていますが、そういったスタイルとは真逆ですよね?
自主性を育む、個性を大事にする、などなど耳障りの良いことを言っている塾のやっている実情は、その子にとって必要か否かという見極めもなく、「一斉に」「大量の作業」を「押し付ける」だけの話です。
念のため言っておきます。
学習において「作業的なこと」はあります。漢字の練習をするというのもその一つと言えるかもしれません。それ自体は悪いわけではありません。「全員一律の内容」を「押し付けている」ことがダメだと思うわけです。
その「宿題という名の作業」、一体何の役に立っていますか?
なんかね、昭和感を抱いてしまうんですよね。
炎天下での激しい運動であっても「水は飲むな、根性で乗り切れ」的な時代遅れ感を、「全員一律に大量の作業」には持ってしまうわけです。
その愚かしさに早く気付いて、もっと大切なことに時間を費やしてほしいと思っています。
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