高松市国語塾EQZ塾長です。
今回は、親御さん向けに真剣に書いた記事です。僕も子どもを持つ親でもあります。そういった意味で親御さんへのエールでもあります。お付き合いください。
子どもを持つということ
子どもを持つということは、言い換えると、覚悟を持つことと同じだと思っています。
生まれたばかりの赤ちゃんから数年間は、単に可愛い可愛いで済みます。転機が訪れるのは、幼稚園、保育園、小学校などに進学した時でしょうか。集団生活であり、ある程度の競争社会でもあります。そして、ほとんどの子は高校に進学し、その後も大学、短大、専門学校等に進学します。最低でも18年、多くは22年程度は、子どもを養っていかなくてはなりません。
養うというのは、単に生活ができるというだけでなく、進学するための費用、習い事、学習塾、スポーツ、芸術等、そしてレクレーション系の費用もすべて賄っていくということでもあります。
怪我、病気などの不調にも付き合っていく必要があります。さらには、精神面での支えが必要になることもあります。
そういったことを全てひっくるめて親御さんが請け負っていく覚悟というものが必要だろうと思うわけです。
学習面での覚悟
学習面に限ってもその覚悟の内容は多岐にわたります。
まだ幼いうちは、勉強についていけているのか否かを確認をする必要はあるでしょうし、ついていけないということであれば、その対策に奔走する必要があるかもしれません。
小学生のうちは学校のテストがまずまずできているからと言って油断はできません。言ってみれば「誰でもできるテスト」なのですから。問題集で理解ができているのかどうかを確認しなければいけないかもしれませんし、それ以前に、適切な問題集を選択することも必要でしょう。
年齢が上がるにしたがって徐々に学校外の学習、主に学習塾に通うことも検討するケースも多いです。
学習塾の選択では、我が子にあっている学習塾なのか否かの判断、或いは、我が子に必要な学習塾なのか否かの判断を迫られますし、選択を決心しても、我が子の説得、家庭内の合意等も必要かもしれません。
いざ通うことを決定した後も、スケジュールの調整、送迎、食事の準備、学習内容の把握、トラブルがあった場合の対応、授業料などの支払い等々、これまた仕事は多岐にわたります。
尚且つ、学習塾などに通うことによって生じる体力的な問題、精神的な問題にも気を配っていかなくてはなりません。
しかも、成績上昇も志望校合格も保証されていない。
そういったこと全て全てひっくるめて、背負う覚悟が必要です。
しかもしかも、これらは、多くの人が自分の仕事を抱えた上で実行していかなくてはらないのです。
そう考えると親業は大変です。
思春期になると
親業の苦難は続きます。
小学生の高学年から中学生、高校生にかけて、親御さんにとっては最大の試練がやってきます。それが、反抗期というやつです。
幼いころは何をやっても可愛かったのに、ミドルティーンエージャーになると何をやっても腹が立つ、ということにすらなります。体はもちろんのこと、精神や思考力も成長しているわけです。親が何も言い返せないような「正論」を言ってきたり、そもそもコミュニケーションが取れなかったりもします。幼児期の反抗期とはわけが違います。
これが受験期と重なるのですから大変です。何かの罰かと思えたりもします。だからと言って、放置できるはずもなく、やきもきしながら行く末を見守る必要があります。
それも覚悟です。親に反抗する、親の言うことを聞かない、それもひっくるめて、請け負う覚悟が必要です。
特に大変なのは
そして、特に大変なのは、視野が広い親御さんです。
僕自身、視野が広いことは大賛成です。親御さんにもお子さんにもそうあってほしいと願っています。
ところが、視野が広いことによって数段階上の覚悟を持つ必要が出てくるのではないかと思うのです。
視野が広いということは、我が子の将来を、特定の地域や特定の仕事に限定しないということでもあります。言い換えるならば、我が子の居場所をワールドワイドに考え、その上で、将来の様々な可能性を探ろうとするということです。
これは視野が狭いケースを考えればよくわかるかと思います。
「大学は都会に行っても、卒業したら高松に戻ってきたらえぇんで。都会は大変やしな。高松が一番えぇんよ」
地獄のような視野の狭さです。自分は高松が一番良いのかもしれませんが、それを子どもに押し付けてはいけません。高松が一番良いという根拠なんかありません。都会が大変というのはいったい何を指して大変というのか。いやそれ以前に自分はどうだったのか、都会での経験はあるのか。非常に疑問に感じます。
僕自身は、今後の地方都市はほぼノーチャンスだと思っています。どんどん縮小することが決定しているのですから。縮小する都市に、若者が活躍できる場はほぼありません。現在でも、山奥の限界集落を見ればわかる通りです。地方都市は、そこまで極端ではないですが、それに近づくのです。とても「高松が一番えぇんよ」なんて言えません。
話が長くなりました。視野が広い人は、日本中、世界中を見ています。高松にある企業に勤めることが一番良いなんて1ミリも思っていません。そもそも「勤めること」を前提にしていないかもしれません。となると、探るべき可能性は広がります。その広さも深さも格段に大きくなります。
それらを引き受けて、我が子に教育することが求められます。
具体的な例でいうと、視野が広いと進学する学校を高松で選択するとは限らなくなります。全国どこでも良い学校、我が子にあった学校があれば、そこを選択することも出てきます。その分、情報収集の労力は増える、費やす時間は増える、そして、それに伴う費用も増える、ということです。
そして、多くの子が18歳で家を出る(都会の学校に進学する)のに対し、15歳、早ければ12歳で家を出るということにもなります。
あっという間に我が子が家からいなくなるわけです。寂しいかもしれません。これも、視野が広いからこそ生まれる覚悟だと思います。
だから一瞬
ですので、視野の広い人ほど、早い段階で子どもが遠くに行ってしまうという覚悟が必要なわけです。先ほど「寂しいかもしれない」と書きましたが、実は、寂しいことなんてないですよ。
大いなる希望と可能性をもって、我が子は大海に出ていったわけです。そして、親はそれを支持して支援したわけです。何を寂しがる必要があるのでしょうか。
我が子が、自分の望む人生を元気に送っているのであれば、最高じゃないですか。そこに到達するために親は踏ん張ってきたんじゃないですか。
ただ、僕も感じたことですが、我が子が家を出ていくまでの時間というのは、振り返ってみると、一瞬だったように感じます。あっという間です。もぬけの殻になった子ども部屋をみていると、本当にここに我が子がいたんだろうか、という疑問すらわいてきます。
そして、もっとあれこれしてやっておけば良かった、なんていう後悔もわいてくるのです。
お子さんが家を出るまで、短いですよ。あっという間ですよ。
だから、今できることを精一杯やっておいてあげてくださいね。お子さんのためにも親御さん自身のためにも。