Line-ltd 2021.04 香川県公立高校入試 国語

今回は、香川県公立高校入試の国語の問題、第3問の説明的文章を元に、読解について考えたいと思います。まずは以下の「入試問題本文」をお読みください。

※番号は段落番号です。
※実際の入試での漢字書き取りの問題は、漢字に改めています。

1 現代の日本社会では、人々を結びつけているのは、「普通」と呼ばれる基準である。「普通」とされている基準に合わせることで、自分が多くの人と一緒であることを確認する。しかしその「普通」とは明確には何のことかがよくわからず、自分で選んだり決めたりしたものでもない。私たちは「普通」と呼ばれる他律的な基準を、暗黙のうちに強制されている。「普通」の代わりに「空気 」という言葉を使ってもよいかもしれない。ここで「普通」とされていることは、「平均的」とか「通常の」を意味するのではない。「普通」とは、どこからともなく世間が求めてくる、個人が到達すべき水準のことを意味している。つまり、会社の暗黙の慣習に合わせるのが「普通」であり、学校では協調行動ができるのが「普通」である。ここでの「普通」とは能力ばかりを指しているのではない。暗黙の規律やローカルな慣習、多くの人が同調している流行に従うのが「普通」である。「普通」とは、「それに合わせよ」という、どこから発せられているのかわからない命令である。公私を厳密に切り分け、公の場では私事を慎み、公の流れを妨げてはならない。その公の流れこそが、「普通」であり、「空気」である。そして、実際には、「普通」を命じているのは特定の権威や権力である。その権威と権力の流れに逆らうのは「普通」ではない。したがって、「普通」という言葉には、権威や権力への恭順と、それに従う人々への同調という二つの圧力が働いている。

2 多くの人々は、この押し付けられた他律的な規律を内面化し、それに合わせようと固執しつつも、そうなりきれないでいる。そして、そこから生じた自己否定的な感情を他者へと投げつけ、「普通ではない」他者を排除しようとする。本人は「普通」になろうと頑張っているのに、「普通」ではないくせに「ノウノウと生きている」人々が許せなくなる。日本の社会は、この「普通」、すなわち、権威や権力への恭順によって個人が結びついている☆☆な構造をしている。

3 「普通」によって成り立っている社会には対話はない。対話をするならば、何が尊ぶべき規範であるかを議論できるだろう。それはこれまでの「普通」とは異なる規範かもしれない。だから、権威と権力に執着する者は対話を恐れる。

4 哲学対話の問いは、私たちの世界の分類法を「〜とは何か」という問いによって問いただす。それは、現在の私たちの社会における物事の区別の仕方と、それに伴う物事の扱い方を再検討しようとする。「礼儀とは何か」と問うときに私たちは、何が礼儀であり、どのような行動をとれば人に礼を尽くしたといえるのかを改めて議論する。それは、現在の社会における社会的な関係を考え直すことである。「仕事は何のためにあるのか」と問うことは、労働が人間にとってどのような意義を持つのか、生話と仕事のバランスや仕事の社会的な意味を問い直すことである。それは、社会の労働のあり方を変更する可能性を探ることである。「なぜ」という問いで、私たちはさまざまな事象と行為の究極の目的を探る。「なぜ勉強するのか」という問いは、現在の勉強が自分の将来の人生のあり方と目的にどのようにつながっているのかを問い直している。哲学対話が、子どもに考えさせ、子どもに対話させるのは、他者とともに人間の世界を組み直していくためである。対話は、「普通」を求める☆☆な社会では決して得られない人間的な絆によって社会を連体させるのである。

5 最終的に私が主張したいことは、哲学対話を教育する目的は平和の構築の仕方を学ぶことである。

6 事実として、民主主義国家内では市民戦争が起きることはほどんどなく、また民主主義国家間でも戦争がきわめて生じにくい。これは、民主主義がすべての人間が参加できる開かれた対話を基礎にした社会であることから来ている。哲学対話が民主的な社会の構築に資する(役立つ)とすれば、それは平和の関係にも資するはずである。

7 しかし対話と平和の関係は、さらに緊密である。子どもの哲学の第一の意義は。真理を探求する共同体に誰をも導き入れ、互いが互いの声を傾聴し、自分を変える準備をしながら対話を行うことにある。これは戦争を止める最後の平和的手段なのだ。対話は、平和を作り出し、それを維持する条件だからである。対話とは、国際社会に見られるように、戦争を回避するための手段である。また、平和は対話を行うための条件である。平和とは対話できる状態のことであり、対話することが平和を保証する。対話において、人は互いの差異によって同じ問いに結びつく。話し合えないとして特定の「非合理な」他者を対話の相手から外していくことは、もはや互いに互いを変化させる契機を失うことである。自らを変化させるとことのない人々の間には、妥協以外には、争いの可能性しが残されていない。平和とは、人々が対話できる状態だと定義できるだろう。従って、対話の文化を構築することとは平和構築に他ならない。対話は、戦争を、互いに結びついた差異へと変換する。対話すること、しかも誰もが参加できるもっとも広いテーマによって哲学的な対話をすることは、子どもの教育にとって、もっとも優先すべき必須の活動である。

(河野哲也の文章による。一部省略等がある。)
※語句の注釈はありませんでした。

設問

抜粋します。実際の設問番号とは異なります。

問1 二か所ある☆☆に共通して当てはまる言葉はどれか?

  ア 内面的  イ 階層的  ウ 合理的  エ 民主的

問2 哲学対話の問い とあるが、哲学対話とはどのようなものであり、どうすることで社会を結び付けていくと筆者は言っているか? 「哲学対話の問いは」という書きだしに続けて、70字程度で書け。

問3 対話と平和の関係は、さらに緊密である、とあるが、対話と平和の関係はどのようなものであると筆者は言っているか? 次から選べ。

 ア 対話が戦争を避けるための平和的手段となり得る上に、平和への思いが他者との対話を哲学的なものに変えていくという互いに強く結びついた関係
 イ 哲学的な対話をしていくことは民主的な社会の構築につながる以前に、平和な社会の構築にも欠かすことのできない条件になってくるという関係
 ウ 開かれた対話をしていくことは戦争を回避し平和を生み出す源になるだけでなく、その平和をより堅固に構築し直していくことにもなるという関係
 エ 対話をすることが平和を作り出してい保持していくことの条件であると同時に、平和な社会をでなければ対話は成り立たない、という相互に必要とする関係

問4 本文を通して筆者が特に述べようとしていることは何か? 次から選べ。

 ア 平和構築を目的とし、様々な人々と対話していくことで自分と他者との差異を認識し、互いに妥協し合う合理的な文化を生み出していくべきである。
 イ 平和を目指し、相互に連帯していく中で、互いの差異により生まれる考えの違いを限りなく少なくするための対話文化を追求することが重要である。
 ウ 平和構築を目的とし、従来の関係をお互いに保ちつつ、対話により生じた相互の小さな差異を認め合うような開かれた文化を創造していくべきである。
 エ 平和の構築を目指して、他者との差異を認めつつ、互いにを互いを変容させながら相互に結びつくことを目的とした対話文化を築くことが大切である。

正解

問1 イ 階層的

問2 哲学対話の問いは、「現在の私たちの社会における物事の区別の仕方と扱い方を再検討し、さまざまな事象と行為の究極の目的を探るものであり、他者とともに人間の世界を組みなおす」 ことで社会と結びつく

問3 エ 対話をすることが平和を作り出してい保持していくことの条件であると同時に、平和な社会をでなければ対話は成り立たない、という相互に必要とする関係

問4 エ 平和の構築を目指して、他者との差異を認めつつ、互いにを互いを変容させながら相互に結びつくことを目的とした対話文化を築くことが大切である。

所見

抽象的な文章ですね。

香川県の入試問題はそんなに難しいというわけではありませんが、このような抽象的で意味が捉えにくい文章が出題されることが増えてきました。

入試問題ですから、意味が分からないからと言って飛ばすわけにはいきません。何としても正解にたどり着かないことには合格はできません。しかも、入試では国語が最初にあります。意味が分からず、問題が解けずに、ショックを受けて他の科目に影響を及ぼす可能性すらあります。

この文章、及び、設問をご覧いただければ、私が説明会でお話している「文章の意味が皆目分からない」という事例が、決して大げさではないことがお分かりいただけるかと思います。

2段落目の冒頭
>押し付けられた他律的な規律を内面化し、それに合わせようと固執しつつも、そうなりきれないでいる

あたりは典型的だと思います。「他律的」「内面化」「固執」の意味が分からない。そして、「それ」「そう」の指示語が指す内容が分からない。下手すると「なりきれない」も分かりません。となると、この文は何を言っているのかさっぱり分かっていない、ということになるはずです。

語句の注釈がないということは、この文章は中学3年生であれば読めるだろうという前提に立っているということでもあります。言い換えると、読めるのが標準的なレベルだということです。

しかしながら、私の過去の経験からすると、この文の意味が分かっている子は5%もいないはずです。

尚且つ、設問の選択肢の問題は、選択肢の中の言葉がそもそも分からない。問3や問4の中のそれぞれの選択肢の意味の違いは分かりません。問1の選択肢では、正解である「階層的」も当然意味が分かりませんし、恐らくそれを選択しないものと思われます。本文中に、他の選択肢の語句「内面」「合理」「民主」は出てきますが、「階層」は出てこないからです。

読んでも読んでも意味が分からない。となると、もう当てずっぽうで何か選択して書く以外に方法はありませんよね? 大事な入試においてもそうせざるを得ないわけです。

よくよく考えていただきたいと思います。

受験直前になって対策を始めて、間に合う話なのか? ということです。

ましてや、診断テスト前に過去問を1題2題こなす、年間で20問程度解いてみる、程度の学習で果たして、このレベルの文章題が解けるようになると思えるか? ということです。

答えはもう明らかなんですよね。

前述の文章が全部分かっている必要があるとまでは言いませんが、ほぼ分かる(分からない語句が2~3個ある程度)、ぐらいのレベルでないと太刀打ちができないことがお分かりいただけると思うのです。

そして、そのレベルに達するには、継続的に読解問題を解き続け、自分の回答や考え方の何が良かったのか悪かったのかを把握し、更に、意味が分からない語句を調べ、使ってみて、身につけていくという地道な取り組みが必要です。

記述問題が解けないという子も多いです。どうやって書けば良いのか、と悩む前に「ちゃんと読めるようにすること」が先決です。「書く力」が「読む力」を上回ることはありません。つまり、「読めないけど書ける」ような子はいない、ということです。

記述問題というのは、まず読んで意味が分かって、どうまとめていけば良いか考え、重要な箇所を取り上げて、正しい日本語として書きだす、という流れになるわけです。その最初の「読んで意味が分かる」が達成できていなければその後はありません。

 

テスト前に何問か読解問題をやって点数がとれるのであれば、全員が取れるはずです。しかし、現実は、ほぼ全員が取れない。ということは、そのような勉強方法は決定的に間違っている、と私には思えるのですがいかがでしょう? 

保護者説明会「国語の危機を救う具体策」

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