以下、かなりの長文になります。我が子の学力、読解力、将来のことを真に考える親御さんだけに丁寧に読んでいただければと思います。「教養読書の会の流れ」「教養読書の会の目的」「開催の背景」等を解説しております。
※教養読書の会を1年近く続けた子たちの成果
教養読書の会とは
読書を通して教養を身につける会のことです。小学生・中学生を対象にした、国語塾EQZのコース設定の一つで、週に1日、教養系書籍を読むことで教養を身につける時間を確保します。単に読むだけではありません。視野を広げ、インプットとアウトプットを繰り返します。
目先の点数を追いかけることはありません。ただ、5年後に100倍の威力になって戻ってくることを確信して学びを深めていきます。
このようなことが必要なのか?は、保護者説明会に参加していただければお分かりいただけると思います。
教養読書の会の流れ
「面白そうな本」の選択
塾に来たら、本棚を見渡して「読みたい本」を手にとりましょう。持ち込みの本でも構いません。基本的に「教養系」の本をお勧めします。ラインアップも「教養系」の本が中心です。どれを読めば良いか悩む場合は、先生に相談して一緒に考えていきましょう。
読書スタート
読む本が決まったら、先生に、今日は何を読むのか伝えてから席で読み始めます。何分間読んでも構いません。途中で本を変えても構いません。途中で休憩するのも自由です。自分のペースで読んでいけば良いのです。
能動的解決
分からない言葉が出てきたらノートに書きだします。その意味は、まずは自分で調べてみましょうか。辞書やパソコンを使って、自分で調べてみることが重要なのです。能動的な解決力と言います。スマホやタブレットは使いません。将来はパソコンを使う能力が必要なので、パソコンを使って調べます。最終的に分からなければ、先生に尋ねても良いです。
要約
今日の本を読んで新しく学んだことの要約をノートに書いていきます。家に帰って、お父さんお母さんに伝えるというつもりで書きます。いわゆる「まとめる」ということですが、ここで抽象的な概念や表現を学んでいってもらいます。
主張
新しく学んだことの他に、「自分はどう思ったか」「自分なら何をしたいか」「面白いと思ったこと」「不思議だなと思ったこと」等の意見も付け加えます。事実に基づく自分の意見を述べることでプレゼンテーション力をつけていくことを意識します。
仮プレゼン
書き終わったらそれを先生に見せたり伝えたりします。伝わる文章になっているか、正しい日本語になっているかの確認です。書き方が悪ければ直します。お父さんお母さんに伝わるような表現などを学んでいきます。
リラックス
帰る時間になったら片づけをして、お迎えまで好きな本を読んだり、クイズやパズルの本を見たり、パソコンで調べ物をして構いません。その日読んだ本は持ち帰って構いません。次の「教養読書の会」の時には必ず持ってきてください。
本プレゼン
家に帰ったらその日のうちに、新しく学んだことをお父さんお母さんに話してください。お父さんお母さんが何か教えてくれるかもしれません。アウトプットの場としてはメインイベントですので、必ず実行してほしいと思います。
ご家庭でもお付き合いください。お子さんの話を聞いてあげてください。
興味の連鎖
次の「教養読書の会」までの1週間は、学んだテーマを元に、「もっと知りたいこと」、「分からなかったこと」を調べたり、本をもっと読んだりしましょう。そして、また学んだことや思ったことをノートに書いていきましょう。強制的な宿題ではありません。自らが興味をもって調べるようにしたいと思っています。興味の連鎖が起こって、別のことになっても構いません。大事なのは、興味を持つことがたくさん出てきてそれを自分で調べてみることです。
教養読書の会では何を学ぶのか?
この「教養読書の会」では、次のようなテーマを持って指導を考えていきます。
知見を広める
知見を広める、すなわち、世の中を知るということです。説明会でもお話した通り、「世の中を知らない子」は読解はできないのです。これは、私が最も強く言いたいことです。
例えば、幼稚園児だと、親(家族)が総がかりで生活面の面倒を見ます。まだ幼児ですから仕方ありません。ところが、中学生になっても、世界が幼稚園児のままの子がいます。要は、家庭と学校と習い事だけで世界が完結している子です。幼稚園児の頃の世界が全然広がっていっていないのです。だから送迎なしにはどこにも行けません。習い事の教室、塾がどこにあるのかも知りませんし、近隣の様子も知りません。ドアツードアで車で送迎しているからですね。当然、中学生になっても電車にもバスにも乗れないし、買い物すらできない子ができるわけです。実際にいるんですよ。
家庭の中で知見はそんなに広まりません。生まれてからずっと同じ環境下にいるのですから、どうしても限定されてしまいます。それよりも家庭では、衣食住をこなしていくので精一杯で、多くの場合「知見を広める」というところまで到達しないことが多いでしょう。であるなら、子どもたちは一体いつどこで知見を広めていくのでしょう?
当塾の「教養講座」は、世の中そのものではありません。書籍を通して世の中を学ぶことになります。言わば疑似体験のようなものであり、きっかけです。小さなきっかけではありますが、そのきっかけすらなければその先はありません。
「そういう世界があったのか!」と、後になって知ることってありませんか? 「もっと早く知っておけば」と思ったことはありませんか? はい、「それ」を知るために開講するのです。
読書量を確保する
読書が好きな子は、放置しておいても読書をすることと思います。もちろん、何ら問題はありません。ただ、物語が多いのではないでしょうか? それも決して否定はしません。物語にも「自分の知らない世界」が広がっています。今の自分の身の回りの世界とは異なっています。それはそれで学びです。
半面、教養的な読書はどうでしょう? できているでしょうか? 生き物や天体あたりだと読んでいる子もいることと思います。では、心理学のお話、経済のお話、宗教のお話、語源のお話、IT関連のお話、歴史のお話、哲学のお話、自然界のお話、経営のお話……等々、こういった方面の書籍にはなかなか手が伸びていないのではないでしょうか?
そういった題材の読書をする時間を、学習塾という言わば「やらざるを得ない空間」で過ごすのです。親御さんの言うことは聞かずとも、先生の言うことは聞くものです。子供達も親には甘えますが、他人である先生には甘えません。その環境下で一緒に学んでいきましょう。
語彙力を獲得する
簡単な書籍・題材ばかりではありません。読み進めるのに時間がかかるかもしれません。調べているとたったの1ページしか進められなかったということも起きるかもしれません。それでも良いのです。先に進むことが目的の優先事項ではありません。分からない文章を理解しながら読むことが最優先です。
そうやって四苦八苦することによって、ある程度強引に語彙力がつきます。そして、それはきっと身の回りにない言葉です。その書籍に出会わなければ知らなかった言葉です。そう考えると、とても価値はあるのではないでしょうか?
・意味がよくわからない言葉を分からないまま、練習と称して10回書く。
・意味がよくわからない言葉を自分で調べて、文脈の中で理解していく。同じ意味で違う言い方はあるのか、他にどんな使い方をするのか、等の疑問が出たら先生に尋ねて一緒に調べたり、自分で使ったりしてみる。
さて、どっちを理想としますか?
アウトプットを確保する
EQZでは高校受験の卒業生は、60%以上が高松高校に、10%以上が高松一高に、10%以上が県外の難関校にそれぞれ合格し進学します。なぜ、こんなにハイレベルな学校に多くの生徒が受かるのか?
もう、これはアウトプット量の賜物です。丁寧にコツコツとアウトプットを積み重ねてきた結果です。アウトプットはずっと意識してやっていることです。
教養読書の会は、インプットではないのか?
はい、読書自体はインプットです。でも、この授業の流れを見ればわかる通り、インプットだけでは終わりません。アウトプットもプログラムに組み込んでいます。むしろ、そのアウトプットをすることが、「学んだあること」のとりあえずのゴールだと思っています。
要約する、まとめる、意見を述べる、それを先生や親に伝える、そういった一連のアウトプット的学びの要素を取り入れていきます。
抽象的概念を獲得する
年齢が上になるにつれ、伸び悩む子というのが出てきます。私はその要因の一つが「抽象的概念の獲得」「抽象語の理解」だと思っています。抽象的な言葉が理解できずに、結局文章の意味が読み取れないのです。
抽象語というのは身の回り、日常生活にはあまりありません。ですので、世界が身の回りだけで完結している子は、抽象語のイメージがわかずに、抽象語を獲得するのが困難です。身の回りにないしイメージできないのだから、自ら獲得にいかなければならないのです。でも、それに気付かないから、小さい頃(抽象語が少ない時期)にはできていたのに、大きくなる(抽象語が増えてくる)とできなくなるのです。
結局、学年が上がって、文章の内容が難しくなるというのは、表現方法だったり、段落構成の複雑さだったり、ストーリーの複雑さ等も、その一因としてありますが、最も大きな要因が「抽象語の割合」「抽象的な文章」です。
「教養」を学ぶということを通して語彙力はつきますし、抽象的な概念も獲得していきます。
プレゼンテーション力を磨く
プレゼンテーション力とは、上記でお伝えした「アウトプット」の一つの方法で、ノートにまとめたり、説明したりすることを指します。その日のゴールは、親御さんに「その日、学んだことを教えてあげること」とします。
そのために、塾の時間内で、ノートにまとめたり、感想・意見・気持ち・疑問等を書いたり、それを先生に伝えたりと「仮プレゼン」をします。いずれもアウトプットの要素です。まとめることで抽象的な表現を使うことも必要でしょう。意見や気持ちを伝えようとしても上手い言葉が見つからずに四苦八苦することでしょう。それらの苦難を乗り越えて、事実とそれに基づく意見を、短時間で的確にプレゼンできるようにしていきます。
ですので、お子さんが「その日学んだこと」をプレゼンするところまでは付き合ってあげてください。たったの5分です。そして、それに付随する知識、エピソード等がありましたら、お子さんに教えてあげてください。また関心が広まることと思います。
自ら学び取ることを知る
令和の時代、頼りになるのは「己の力」です。
コロナの対応を見ていても、酷いなと感じることが多くありませんか? 政治家の保身第一の逃げの姿勢、マスコミの煽るばかりの報道、何を信じて良いのか分からなくなりますよね。何が正しくて何が間違っているのか、自分の頭で判断しなければなりません。つまり、信用すべきは己の考える力です。
そのためには、様々な情報を正しく理解することが必要です。要は読解力です。そして、それを元にして考え、必要に応じて学ぶことが求められます。
今、コロナの影響で混とんとしているように見えますが、どの時代も混とんとしていますよ。いつの時代も「先は読めない時代」ですよ。ただ、変化のスピードは恐ろしく速くなっています。だから、知識の吸収にして、判断にしても、学びにしてもスピードは必要です。頭をフル回転しなければなりません。何が大事か何が大事でないかを正しく速く判断できる力が必要です。
自分で学び取る方法を知っていれば対応ができます。それを一緒にやりませんか?ということなのです。
時代に即した学び方を知る
昭和の考えはもう捨てませんか? 学びは、詰め込みでもありませんし、根性や気合でやることでもありません。親や指導者側から押し付けるものでもありません。簡単に言うと「やりたいことをやったら?」ということです。
ただ、「やりたいこと」「知りたいこと」のネタは提供してあげる必要があると思うのです。放置しておくと自分の興味のあるものにしか目を向けません。興味のあることを深く追求していくことは全く否定しませんが、小学生、中学生であれば、まだそこまでしなくても良いかな?と思うのです。「興味の深さ」よりは「興味の幅」の方が大事かと。「面白い!」と思えることをたくさん見つけてほしいのです。
子どもたちには、私から提案はします。必要な知識は覚えることを強要することもあるでしょう。暗記すべきこと、それはそれで重要ですからね。ただ基本的な姿勢は、「学びたいことを自ら見つけ出し、興味関心の幅を広げ、調べ、考え、伝える」、という一連の流れを後押しするということです。
稼げる子にする
これらを通して「学び方」を知ります。「学び方」が身についていれば何にでも対応ができます。ですので、とても簡単に言うと「成績の良い子」ではなく「頭の良い子」を育てようというつもりです。「頭の良い子」であれば、自動的にテストの成績なんかは良くなります。
「頭が良い子」を少しだけ具体化すると「自分で考えることができる子」です。「自分で考えるため」には、興味と知識の幅は広くなければなりません。みなさんもそうですよね? 興味と知識のあることは考えることができるけど、そうでないことは考えることはできませんよね?
そして、最終的には、「己の力だけで稼げる子」になってほしいと思います。会社から高い給料をもらうことだけを指すのではありません。むしろ、組織に頼らずとも、本人の力だけで稼ぎを生み出せるような子を指します。
稼げる子というのは、要はその子にお金が集まるということです。言い換えると、その子に価値があるということです。
土台作り
もう長らく「塾の先生」をやってきました。ずっとモヤモヤしていたことに、ようやく光明の兆しが見えてきた気がします。
受験に向けての点数をとるテクニックの指導、生徒のクセを見抜き修正して点数につなげる指導、これは、もう自分の中では「問題ないな」と感じ始めています。技術的にいつでもできる、という意味です。
もっともっと重要視したいのは、その土台になることなのです。上記で説明した力です。これがあれば、自然とテストの点数はとれる子になっていますし、万一点数がとれていなくても、土台ができていれば受験学年での指導で十分できる、という感触があるわけです。
要は点数がとれないのは、テクニック的な問題も確かにありますが、それ以前の土台的な問題もかなり多いです。というか、ほぼそちらです。世の中を知らない、語彙が少ない、日本語の使い方が分からない等々。
その土台がある子なら、受験が近づいてきたらあとは点数をちゃんととるための指導が生きます。受験テクニックが効果があるのは、土台がある子だけなのです。分からないことだらけの子は、テクニック以前に土台がないので、ずぶずぶと泥沼にはまって前に進めない、ということになります。
本人が一番つらいですよ。やってもやっても意味が分からないことばかり出てくるんですから。それで点数をとらなきゃいけないというのですから。
だからこそ、土台をちゃんと作り上げていくために、教養読書の会を開講するわけです。
参加資格
養読書の会は、対象を小学3年生~小学6年生とします。
週に1回通ってきてもらいます。
通塾するには、二つの条件を付けます。
・「国語の危機を救う具体策 保護者説明会」に参加していること
・「読解問題の解き方のルール」を受講していること
です。
授業要項の概略はこちらに記載してあります。
よくあるかもしれない質問 FAQ
「教養読書の会」では、全員が同じ本を読むのでしょうか?
違います。一人ひとり異なった教養書籍になります。学年も違いますし、興味関心の方向性、理解度等も違いますので、個別に内容を組み立てます。
「教養読書の会」は何曜日の何時からでしょうか?
教養読書の会に限らず、EQZでは、全学年全コースとも「自由時間制」です。開校している曜日・時間を提示しますのでその中から自由に選んでいただいて結構です。
尚、日曜日も朝9時から開校しております。
「教養読書の会」の時間は何分でしょう?
一応、目安として最大180分としていますが、もっと読みたいという希望があれば、延長しても構いません。面白いものはずっと読む方が楽しいですもんね。「目安」は「目安」です。時間数の長短による授業料の差はありません。
だとするとお迎えが困るような気が…
ご家庭で決めごとをしていただいて結構ですが…当方の想定としては、
1 終わりそうな頃になったら、親御さんに電話をする。電話を持っていない子は塾長の電話を使います。
2 5分10分程度であれば、教室の入り口付近に親御さんが座って待てるスペースがあります。
お休みした場合の振り替えはありますか?
もちろんあります。
・その週の中で振り替える
・それが無理なら翌週に振り替える
・それでも無理なら、更に翌週以降の別日に振り替える
等の対処をします。規定時間数以下で終わることはありません。
読む本は塾にある分だけでしょうか?
面白いと思えるものであれば何でも良いのです。学校の図書室や図書館で借りてきた本、自分で持っている本、何でも良いです。こだわりはありません。
塾にある書籍は、知見が広まると思われる書籍を中心にそろえています。
普通の読解の問題集はしないのでしょうか?
準備はします。「読解問題集」「語句系問題集」「教科書対応問題集」等、渡しておきます。それをやるのかやらないのか、問題集は家でするのか塾でするのか、それも自由に決めて構いません。以下、当方で想定していることです。
1 塾では「教養読書の会」だけを進めていく。
2 塾では「教養読書の会」と、少しだけ「読解問題集」をやる。「読解問題集」をやったらそれは当然こちらで採点、指導はします。
3 塾では「教養読書の会」と「読解問題集」を半々ぐらいでやる。「読解問題集」をやったらそれは当然こちらで採点、指導はします。
上記のどれでも良いです。ただ、念頭に置いてあるのは1か2です。特に、「語句系問題集」「教科書対応問題集」は、家で進められると思いますので、それをお勧めします。
「自由に決めても良い」とは言いましたが、「学習」に属する部分なので、塾長が多少口出しをしたり、強制をすることもあることと思います。
教室内は読書をしている子だけでしょうか?
違います。中学生も高校生もいて、それぞれが自分の課題に取り組んでいます。塾長が彼らに指導している声も聞こえます。ただ、今までの経験から言って、集中している子には全く関係ないはずです。尚、生徒が何人いてもずっと静かな環境であることは当然です。マナーの悪い子は一切いません。静かな環境は絶対条件ですので、静かに読書ができない子、騒ぎ立てる子はお引き取り願っています。まあ来たことはありませんが。
指導者は塾長さんだけでしょうか?
はい、そうです。塾長が教養たっぷりの人間だというつもりは全くありません。むしろ、知らないことの方がずっと多いことは認めます。だから、生徒と一緒に調べることもありますし、新しいことを知ってお互いに感動して学んでいきたいと思います。
読書にお金を払うって勿体ないですよね?
「読書」ではありません。上記で説明した様々な力をつけるためです。「読書」はあくまでもきっかけの一つです。「読書」と解釈する時点で違っていますし、勿体ないというのであれば、検討するまでもありません。上記で説明したことの価値が分からない方は、当塾とはご縁がないと思います。